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高校生の診療に関すること

進学校の生徒のこころの問題

学歴・偏差値への過度のこだわりが招く弊害については、以前より様々な所で指摘されております。20年程前に一定期間導入された「ゆとり教育」などがそのアンチテーゼとして存在した時期もあります。当院に通院する高校生の内、何割かはいわゆる進学校(有名大学への合格実績を重視する学校)に通学しておりますが、「勉強」に関する悩みとそれに付随する精神症状が比較的多いという特徴があります。過剰や勉強や自分が他者より劣っているという苦悩の結果、脳が疲弊してうつ状態になり来院されております。うつのレベルとしては軽いうつ状態(気分変調症や適応障害レベル)が多いのですが、慢性化していることが多いです。またうつ病にまで発展し薬物治療が必要になる方もおられます。不安障害・強迫性障害などを併発してくる方もおられます。

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背景は様々ですが以下のようなものが考えられます。

①学力

進学校は授業の進みがそもそも早いのが特徴です。中高一貫校の場合、中学校で高校1年の課程まで終わる学校も多いです。さらに本人がもともとぎりぎり無理をして入学した学校であった場合、地頭のレベルが追い付かず、無理をして勉強を頑張らないとついていけないということがあります。

②性格

大きく分けて完璧主義・結果主義でこだわり・執着が強いケース、真面目で素直に周囲のいうことを真に受けてしまうケース、神経過敏で他者を必要以上に意識してしまい疲弊するケースの3つのパターンがあります。偏差値・成績という数値化されるものへの親和性、人の話を真に受けてしまう幼児性などから神経発達症の傾向が背景としてあることがあります。またもともと遺伝的に強迫症や不安症の素因が強い場合もあります。

③学校・予備校

進学校や予備校では進学実績が学校経営上重要となります。進学実績を上げるため過度に生徒間の競争を煽る、宿題を過剰にだす、より上位の大学への進学を促すなどの方法がとられます。また学校は同年代でかつ学力が近い均質性の高い集団であり、制服で姿形を似せられ、閉鎖空間でもあるため、様々な思想・教義がより洗脳されやすい環境ともいえます。学校での勉学は意識的か無意識的か不明ですが、宗教上の修行と共通点があります。髪を剃る、服装を揃える、力のある教祖の存在、人里離れた閉鎖的な場所での修行などなど学校と修行との共通点はいつくもあります。学校は集中する学びの場としては適しておりますが、宗教と似通ったその環境の特殊性をより客観的な広い視点でとらえなおすことが重要です。

④家族

考え方が柔軟で視野が広い、視点が高い場合は問題ないのですが、価値観がせまく視点が偏っている場合は問題になりやすいです。親自身が学歴コンプレックスを抱えている場合優秀すぎる場合親の親(つまり本人からしたら祖父母)から同様の圧を受けて育った場合神経質で不安が強い場合など問題化しやすいです。また医師家系、公務員家系、慶應家系など家系的に一族が高偏差値で同質化している場合にも注意が必要です。その家系に適応的であったり、不適応でも本人のエネルギーやキャラが強く異なる道を切り開いていければいいのですが、勉強ができず他にこれといった飛びぬけた特性がない場合は家に居場所がないと苦しむことになります。

以上のような様々な要因が複合的にからみあって、偏差値・学歴・成績という単一の評価尺度に執着し視野狭窄に陥り、過度な努力を重ね、人によってはうつ病にまで至る方がおられます。このようなケースの方が来院された場合に抗うつ剤を使うことも多いのですが、偏差値・学歴・成績の呪縛から一定の距離をとる作業も重要となります。人によっては心理カウンセリングなども有効なことがありますが、周囲にバランスのとれた思考や行動で生きているテキトー笑で模範的な大人がいると頼もしい限りです。

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以上のことを踏まえてのアドバイスを以下にまとめます。

①偏差値・学歴という尺度の意味や意義を再考して下さい。

学歴の意味については様々な考えがありますが、一般的には就職のために一定の学歴が必要となるという背景があります。より収入の高い、安定した会社への就職という意味で学歴には確かに意味があります。またそれなりのレベルの人との人脈を築くことも可能となり将来活躍の場が広がる可能性があります。このような理由で学歴が大事なのは至極全うなのですが、過ぎたるは及ばざるがごとしで過度な場合は注意が必要です。周囲が東大に進学しているからといって東大にこだわる学生がおられますが、就活という意味では早慶などのレベルの大学と大差ないのが現状です。東大出身でないと就職できない会社はむしろほとんど存在しないし、むしろ東大卒という色眼鏡でみられて損をすることもあり、名前が重荷になることもあります。大企業への就職という面ではGMARCHでも十分に可能で、入社後の出世については本人の能力以外に健康、運、コネ次第といったところです。

一時的な自尊心や他者からの評価・承認のために大学名にこだわり苦悩するのは全く合理的ではありません。もちろん特別やりたい学問があり、そのためにどうしても東大や京大に行かないと行けないという人がいれば別ですが、そのような人はほとんどいないのが実際の所だと思います。

また社会にでた場合に勉強ができる、真面目というのはその人の評点の一側面であり、優しさ、柔軟さ、怒らないなどの人間性、こころに余裕があることやコミュニケーション、対話能力なども仕事をしていく上では重要となります。勉強ができすぎると周囲に無用な警戒感を与える可能性があり、過度な学歴が逆に足を引っ張る可能性があることも認識することが重要です。例えば某大手企業に新入社員として東大卒の人が入った場合、東大不合格になった早慶卒の上司がいた場合、無意識的に東大卒の人を疎外する、出世を邪魔する、いじめる可能性があります。人間の性(さが)ともいえ、どうにもならない心理です。本人に圧倒的な能力があれば別ですが、大した能力がないにも関わらず大学名だけ東大であった場合に、大きくマイナスに働く可能性があることはきちんと想定した方がいいかと思います。

②自分の属する集団の特殊性・偏りを理解してください。

同一世代、同一の性(共学でない場合)、似通った価値観、バックグラウンド、同程度の学力、家庭環境の人の集団で一緒に数年にわたって過ごすことの特殊性への理解が必要です。そのような集団の中で、自身の見方・捉え方に一定の偏りがでる可能性があることは十分予想されます。学歴教という宗教に洗脳されないためには、客観的でより広い視点で自身の置かれた環境をとらえなおし、メタ認知を日々きちんと意識し生活することが重要です。

③先生の意見も半分信じて半分信じないで下さい。

予備校・学校の先生の意見については受験界隈のステークホルダーなので我田引水的な可能性があります。本人の特性を考えての進路指導よりも高校や予備校の実績や利益を重視しがちです。大したことでないのに、大げさにいうこともあります。特に素直な学生さんは先生の話を真に受ける可能性があるので注意が必要です。先生も1人の人間であり、頭の硬い人性格がねじ曲がった人人格的にやばい人など様々で、間違った予測や判断をすることもあります。また生徒本人にとって何が正しい選択なのか分からないことも多いです。他人を信用して信用しないという成人した後に必須なスキルを訓練するいいい機会と考えるといいかと思います。

④結果ではなく過程を重視して下さい。

偏差値・学力重視の欠点の1つに結果重視であるいうことがあります。努力した過程を評価する基準があまりないため、分かりやすい点数での偏差値評価、つまり結果重視ということになってしまいます。結果重視のよくない点として社会にでると結果がでないことが沢山あり、それに一々一喜一憂していては心身がもたないという事情があります。医療においても様々な要因から、医療者がいくら頑張っても治療が上手くいかないことは多いです。高齢者医療についてはいかに上手く負けるかが問われます。上手い負け方(患者の苦しまない死に方)を日々模索するわけです。結果ばかりを気にしていては仕事そのものが成立しないし、続かないです。

また結果にこだわると無駄な力が入るため本人のパフォーマンスが落ちる可能性があります。オリンピックや試験本番でもメダル候補とか絶対受かるとかいわれると逆に余計な力が入って緊張してしまい力が十分に発揮できず失敗してしまうわけです。

さらに結果重視の場合、失敗を恐れるあまり新たな分野にチャレンジできないマインドを生みやすい土壌となります。30年以上停滞する日本とチャレンジ旺盛で経済成長する海外との差がさらに開くことは容易に想像できます。

また結果の成功・失敗だけにこだわると生活そのものが楽しくないのも事実です。結果がでるのには時間もかかるし成功の喜びも一時的なものです。過程や経過は長期にわたり持続的なものです。経過を楽しむというようにマインドセットを変えれば、より長い期間人生を楽しく生きることが可能になります。

さらに今の勉強できる環境そのものに視点を移すといいかと思います。中東のガザ地区のように生きるか死ぬかの環境にいた場合、そもそも勉強できる環境ではありません。勉強できる機会があるだけでありがたいと感謝することで、結果へのこだわり・執着はちっぽけなものになります。

⑤自己肯定感を無駄に下げないで下さい。

無駄な競争とはいいませんが、過度な競争で勝った負けたで疲弊するだけならまだしも、競争に負けた結果、自分はダメな人間であると必要以上に自己肯定感がさがっている方がおられます。自分がダメな人間であるとスキーマレベルで落とし込まれるととなかなか修正できず、生きづらさが将来にわたって継続してしまい人生に大きな禍根を残す可能性があります。一つの例をしては東大や医学部を目指していたのに合格できず、他大学にせっかく進学したのにそれを楽しめず無為に過ごす人などです。自己否定が強い(逆説的ですが自負心が強いともいえます)ためエネルギーがうっ滞し、気力もわかず、無駄に留年を繰り返すことになります。

⑥本当の勝ち負けは神のみぞ知る。

ダーウィンの進化論は優生思想でよく利用される理論ですが、自然界では例外が多いことも最近は分かっております。進化論とは適者生存で強い者が生き残るということが理論の中心なのですが、自然界では弱い個体もさまざまな工夫を凝らして子孫を残しているようです。猿に例えると弱いオスは、強いオスのボス猿の目を盗んでメス猿と交尾をして、ちゃっかり子孫を残しているようです。子育てはもちろんボス猿がやってくれますので弱いオス猿はお得なフリーライダーです笑。自然界全体で考えた場合に、弱い個体の遺伝子を残すことも種全体が生き残るのに必要なのでしょう。一方的な偏りに対する戒めともとらえることができます。このように適者生存という理論も完璧なものではなく、いい加減なものです。強いボス猿を目指すのもいいのですが、弱い猿として賢く立ちまわる能力も社会で楽に生きるコツかと思います。このように一見負けていると思われる個体の方が、総合的にみたら勝っている可能性も頭の片隅にいれておいた方がいいと思います。

また「人生万事塞翁が馬」ということわざも、なにが成功でなにが失敗かについて人間レベルで判断できないという教訓を残しております。勝ち負けや成功・失敗に対して一喜一憂せずニュートラルな姿勢でいるための大事な視点です。

それでも勝ち負けに執着するのであれば、成績や偏差値できちんと負けることが重要です。人生は長いので、今後生きる中で多くの負けや失敗を繰り返すのが一般的です。自分が失敗していなくても、会社や家族の失敗の責任を問われることもあります。負けることに慣れていないと、大きな失敗をしたときに立ち直れず、自分の命を絶つまで至ることもあります。人生早期に上手く負けることに慣らしていくことは、それがワクチンのような効果を生み、大きな失敗をしても大したダメージとならない柔軟で強靭な心身を作ることにもつながります。

⑦100年先を想像して下さい。

自分も含めて周囲の人、全員がすでに死んでいます。色々なことがどうでもよくなるので、今が辛いときはかなり先のことを意識するのもいいかもしれません。


学校での「グループワーク」の乗り切り方について

 以下、心理士鈴木の記事です。学校生活でよく起こるトラブルについての記事となります。

 当院では、高校生や大学生の方も多く来院されていますが、授業や講義の中で、アクティブラーニングの一つとしてグループワークが実施されていることが多いようです。このようなグループワークでは、座学での勉強とは異なり、複数名で協力して調べ学習や資料の作成、発表を行うことが求められます。そのため一般的な授業スタイル以上に緊張したり、参加を尻込みしたりされる方が多いです。

 グループワークが苦手な場合、基本的にはそのようなスタイルを取らずに、一人で黙々と勉強できる環境作りを行うことが第一選択肢だと考えています。患者様の中には、将来働く上でグループワークが出来ないと困るのではないかと心配される方もいらっしゃいますが、一人で作業できるような仕事スタイルや職種はたくさんあります。将来的な自分の生活スタイルは自分で選択できる部分も多くあり、自分に適した生活スタイルを早めに知っておくことで対処可能になるため、それほど心配する必要はないと考えています。

 一方で、学校に関しては、通信制や全日制等の選択肢はあるものの、多くの場合授業スタイルを自分に合うように都度変更することはかなりの労力がかかります。その意味では、グループワークを避けるようにすることが難しい場合が多いです。
 そのため、ここでは仕事ではなく、あくまで学校の授業の一環として単発的にグループワークに取り組む際に、過度に疲れたり自分を責めたりすることなく過ごすための方法について、項目ごとにいくつかご紹介いたします。

<グループを組むとき>

 基本的には仲の良い友達と組むことが望ましいですが、クラスに友達がいない場合やその他の理由でそれが叶わない時もあるかと思います。その時は別の仲良しグループを見つけ、そこに声をかけて入れてもらうのが良いです。

 このとき、5〜6人等の大人数で仲良くしているグループではなく、二人組や三人組等の少人数で仲良くしているグループがおすすめです。

 大人数の場合、そのグループのメンバー以外は受け付けないとしていることが多いですが、二、三人組の場合、相方がいればあとは誰がいても別にどうでもいいと考えていることが多く、またグループに入れるのを断ると自分が悪くうつってしまう等デメリットが多いため、基本的に断られることは少ないです。グループワーク中も彼・彼女らで早々と進めてくれる可能性があるため、それに同調する形でグループワークを乗り切れることも期待できます。

<グループワーク中の立ち回り方>

書記や記録係に徹する

 グループ活動に参加していながらも、それほど発言しなくても何となく許されるポジションです。
 ただ、グループワークが苦手で乗り気ではない人は多いため、そのような人の中では人気な立ち位置であることから、毎回このポジションをとれるとは限りません。そのような時は、無理にこのポジションにつこうとせず、次に示す選択肢も候補の一つとして考えてみてください。

自分で全部やってしまう

 自分だけに作業が集中する、自分が頑張ったのに成績はグループ内で均等につけられてしまう等、不条理を感じることが多いですが、その不条理さを受容するだけの価値はあると思います。
 自分で全てやってしまうことで、自分で作業をコントロールできるため、早めに作業を終えることができ、授業とは別に集まる時間を作ることもしなくて済みます。つまり、形態としてはグループでありながら、実際には自分一人でのワークに変えることで、グループワークをしなくて良くなります。

<グループワーク中のトラブルシューティング>

意見がまとまらない時 

 グループワークに対する熱量が高いグループに入ったときには、このような場面に遭遇することが多くなります。
 このような際には、機械的に折衷案を作成するのがおすすめです。この項目ではこの人の意見を採用し、次の項目では別の人の意見を採用する等、システマティックに折衷案を考えるようにしてみてください。

誰も意見を言わないとき

 これは反対に、グループワークに対して乗り気じゃない人が多いグループに入った時に遭遇することが多くなります。
 このときは「グループワーク中の立ち回り方」の②で挙げたように、全部自分でやってしまうのがベターかと思います。早く作業を終えられますし、周りも早く終わらせたいと思っているため、自分が進めていくことに対して反対する人は少ないと考えられます。

 以上、いくつかご紹介させていただきましたが、勿論クラスの雰囲気やグループワークの内容等によっても、これらの選択肢が取れる場合とそうでない場合があります。ケースバイケースで一つずつ困難を解消していく必要があることも多いため、そのような場合にはカウンセリングで一緒に考えて、より過ごしやすくするための方法を編み出していけたらと考えております。

 また、社会不安障害等で、どうしても本人の特性上グループワークが困難なケースでは、主治医に診断書(内容としては「本人の特性上グループワーク困難である」)を作成してもらうことも可能です。再診の診療時に主治医に相談して下さい。

親のエゴの治療への影響について

 不登校のケースの場合の進路には以下のようないくつかの道があり、本人の特性、疾病性、性格傾向、学校の対応の柔軟さ、親の経済力などを総合的に分析しフラットな視点で今後の道を選択することが重要です。

・普通高校でそのまま頑張る(留年も含む)

・通信制高校へ転校(転校)

・高卒認定をとる(退学)

・通信制転校+高卒認定

 社会に出て就職するのに高校卒業は必要と考えますが、そもそも社会では最終学歴の大学が重要視されるため、大学受験への準備として普通高校のカリキュラムにはやや無駄が多いと考えます。ケースによっては無理な戦い(そのまま通学)をして消耗するよりは「戦略的撤退(転校や退学)」をして次の戦い(大学や専門学校進学)に備えることも重要と考えます。

 今後の道の選択の際に家族、特に親の姿勢や態度・意向は本人の道の選択に大きな影響を与えます。本人、親、治療者が同じ方向を向いていれば問題になることは少ないのですが、方向性の相違が大きい場合、こども本人に無用の混乱をもらたし治療経過に悪影響を及ぼす可能性があるので注意が必要です。

 親自身の問題を背景に問題が複雑になっていることがあり、そのようなケースで代表的なものに以下の3つの場合があります。

・経済的な問題や病気などで親自身に生活の余裕がない場合

・親自身のメンタルがそもそも不安定な場合(過剰な不安など)

・親自身のエゴが強い場合

 今回はエゴの問題について扱います。エゴはこだわり・執着とも言い換えていいかと思います。心療内科の診療でも、治療過程で患者さんのこだわり・執着が強いとなかなか精神症状が改善しないということがよくみられます。絶対~とか、必ず~とかいう言葉はこだわり・執着と関係が深い枕詞です。

 エゴと関係が深いものに、親の人生上の問題をこどもに投影している場合があります。親自身の人生での不全感や劣等感を解消しようと、こどもの人生の成功=自分自身の成功と同一化しこどもの人生に過度の期待をしてしまうのです。どの親でも、ある程度投影することは健全なのですが、過剰な場合こどもの人生に悪影響を及ぼす可能性があります。こども本人の特性や性格は後回しになり、親自身の価値基準が第一に優先されます。親がやたらと学校名や成績にこだわる場合、その背景に投影の問題が潜んでいないか注意が必要です。

 逆に子の成功に嫉妬して、こどもの成功を無意識レベルで邪魔するという不思議な現象もあります。無意識化されているため、気付きを得ることは困難を極めますが、親自身の自己愛がきちんと形成されていない場合にみられることがあります。

 両親の仲が悪い場合や喧嘩が絶えない家庭、アルコール依存症の父親がいるなどの崩壊家庭では、こどもが人の顔色をうかがい過度に周囲に合わせる傾向になることがあります。もともと繊細で優しい性格の場合にその傾向に拍車がかかりますが、これを過剰適応といいます。ネットや書籍ではアダルトチルドレンということばで説明されていることもあります。過剰適応の場合は自身の意向よりも親の顔色をうかがい、親の意向にあわせようとします。一見いい子であり問題はありませんが、無理な適応を続けた結果心身に不調(主にうつ状態)を来すことが多いです。アイデンティティの形成がうまくいかず、大人になっても「自分が何者かわからない」と苦悩するケースも多いです。過剰適応のこどもの場合は親のエゴに対してもそれを一生懸命に叶えようとします。反発や抵抗がないため親も気づかない場合が多く、注意深い観察が必要です。

 また神経発達症の傾向があるこどもの場合、独特な考え方や行動をするため高校生活で不適応を起こしやすいです。考え方があまりに独特な場合、宇宙人に近いと考えるとわかりやすいです。コミュ障で友人ができにくく、過敏さやこだわりも強いため集団生活そのものが不得手です。無理に頑張ろうとしても、上手くいかない場合が多く通信制高校に転校するなどの環境調整やSST(ソーシャルスキルトレーニング)が治療の主体になります。高校時代に無用なトラウマを抱えるリスクは避けることが望ましいです。神経発達症の方は大人になってもあちこちで不適応を起こすため、本人の特性を早めに見極め、どのような大人を目指すか、あるいは職業を目指すかの方向性を決めて、それに向けて全集中していくのが一番コスパのいい戦略で本人もそれを好むことが多いです。親もこだわりが強いケースが多く、「とにかく普通高校は絶対に卒業すること」に親が執着し厄介になる場合もあります。

 話はエゴから少し反れますが、統合失調症の場合はとにかく無理をしないことが望ましいです。統合失調症は、徐々に脳の機能が衰える病気であり、脳への過剰な負荷は厳禁です。現実検討能力の低下から、本人もできないことをできると主張し、普通高校への通学や大学進学を強く希望される場合が多いです。本人に繰り返し説得して負荷の少ない方法や生き方を模索し、福祉の援助もかりつつ将来に備えることが重要です。親の疾病理解も非常に重要です。本人の意向に沿うことで逆に病状を悪化させることがあり、他の疾患とは対処法が異なるためです。過度な負荷は幻覚妄想状態という陽性症状を誘発し脳の機能をさらに低下させるため避けることが望ましいです。

 重度の社会不安障害、思春期妄想症では特に同学年の人たちとの接触で過度の不安・緊張が強いられるため、一旦は撤退(転校や退学)することも重要な戦略の一つです。治療としては徐々に他者に暴露していく暴露反応妨害法が有効なのですが、通学したままであると行動実験においての暴露の刺激が強すぎ治療がうまくいかないケースが多いためです。学校側が別室登校やレポートで単位取得を認めてくれるなどの配慮があればいいのですが、一般的には難しいことが多いです。

 薬についてもフラットな見方が重要です。薬漬けにされる、薬を1回使ったら辞められないといった伝聞やネット情報に影響され、絶対に薬は飲んではダメといった親もおられます。長期的に使用され一定の効果が評価されている薬については、必要であればきちんと服用すべきです。本来はこどもの病状の回復や将来が重要なのですが、薬の内服の有無に過度に囚われている場合は、今一度俯瞰的に考えることが必要です。

 仏典でも、人の苦の原因はこだわり・執着であるときちんと記載されており、その執着が滅した状態が悟りであるとされます。様々な執着(財産、家族、地位、名誉など)とその結果としての苦については過去の仏典で詳しく解説されており、人生の様々な問題を複雑にする根底には執着があると考えます。生きている限り執着を完全に滅することは困難ですが、以下の点を意識して頂くとありがたいです。

・こどもとは、そこそこの距離で関わること(過剰でも過少でもなく中庸を目指します)。

・自分とこどもは別人格であるため、自分の問題とこどもの問題をきちんと分けること

・こどもが精神疾患であれば、その疾患のことをきちんと学ぶこと(ネット情報に過度に依存せず、きちんとした教科書や成書で学習することが勧められます)。

・自分自身の心理的な問題(トラウマなど)や性格傾向にもきちんと向き合い意識すること(特に自分自身に神経発達症の傾向があり、こだわりが強い場合は注意です)。

・老害を避けるため、世の中の価値観や考え方がどんどん変化していることを認め、おおらかで柔軟な思考を心がけること。

・子育て自体が自己の人格的な成熟を促すありがたいものです。こどもという存在に感謝し上から目線でなく謙虚な態度で接すること。

こどもが元気に生きているだけでもありがたいと思うこと。こどもを失うことを想像するだけで、自分の執着の馬鹿馬鹿しさが理解できます。

感情ではなく理性を重視すること。感情を出す時も、きちんとコントロールすること。


 以上、診療の中で問題になる親のエゴについてあれこれ記載させて頂きました。こどもの幸せを追求することはどの親でも至極当たり前なのですが、エゴという厄介なものを意識化しきちんとコントロールしていく姿勢が重要と考えます。