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食養生について

 食養生について心理士沓名がまとめましたので日常の療養の参考にしてください。

 現代は飽食の時代で、街には美味しそうな食品が溢れかえっています。テレビやネットでも、手軽に作れる時短レシピや目にも美味しい映えレシピが目白押しです。一方で、カロリーはあっても体にとって必要な栄養素が不足していたり、必要な栄養素を取り入れるのに、数あるレシピから何を選んだら良いか迷ってしまう事があるのではないでしょうか。

 かくいう私は、料理はなるべくしたくない、自分だけなら冷凍ご飯を温めて、ふりかけをかけて終わらせてしまいがちでした。そのせいか、疲れが抜けない、何となくだるい、胃腸の調子が悪い等の未病の状態が続いていたので、一念発起し、和食薬膳を学んでみました。コロナ禍を挟んで3年間のコースを終え、自分の体質に自覚的になり、どんな食材を取り入れたら良いかが以前よりわかるようになりました。その結果、胃薬等にお世話にならなくても未病状態がだいぶ改善してきました。


 調子が悪いと、医者が何とかしてくれる、薬を飲めば良い、と思いがちですが、自分の体質を理解し、食事等の生活習慣を整えていかなければ、医療は対症療法、その場しのぎで終わってしまう事も多いものです。カウンセリングでは、自分の内面に向き合うことが多いですが、きちんと食べているか、眠れているか等の確認もしばしば行います。内面に向き合うことも大切ですが、それ以前に食事と睡眠といった基本的な生活が土台にあり、それが整ってこそ、心の状態も良い方向に向いていくからです。いらいらしがちだったり、疲れて気力がわかないのは、基本的な生活の乱れが大きく影響している可能性もあります。

 薬膳は中医学の理論をもとに食材を選び調理される食事のことで、医食同源という考え方を重視しています。医食同源とは、「病気を治すのも食事をするのも、生命を養い健康を保つためで、その本質は同じ」という意味です。自分の体質を理解し、体質にあった生活を整え、それでもうまく行かない際、薬等の医療の力を借りるのが望ましいと、私は常々思っています。
 実際には、生活を整えるにしても、仕事や家事、育児、介護等で自分の都合だけではコントロール出来ないという事も往々にしてあるかと思います。その際は、応急的に薬を使って大変な状況を乗り越えるということも必要になるでしょう。しかし、それはあくまで応急的であり、状況が落ち着いた際は、やはり生活を整えることが必要だと思います。

 そこで、食生活を整える上で、参考になりそうな食材を簡単に紹介します。
 体質は人それぞれになりますので、これから迎える冬に合った食材を取り上げます。料理をするのはハードルが高い人も、コンビニや外食でメニューを選ぶ際、意識してみると良いかもしれません。

 冬と関係が深いのは腎です。腎は、私たちの生命活動の源となる勢力を貯蔵し、全身に活力を与える器官(西洋医学の腎臓とは異なります)です。腎が弱ると、生命エネルギーが衰えて、気力、体力、活動量ともに低下し、元気もやる気もなくなるとされています。
 また、腎は膀胱や骨、骨髄、耳とも密接な関係があるため、機能が衰えると尿の出が悪くなり、体の中に余分な水分が滞って、むくみや冷え、貧血、膀胱炎、下痢、腰痛、足腰の衰え、耳なりのなどの症状が起こりやすくなります。そのために、冬は腎を補い、体を温める食材を取ることがおすすめです。

 腎を補う食材:ブロッコリー、カリフラワー、にら、さつまいも、やまいも、うなぎ、海老、たい、
        ほたて、羊肉、豚肉、黒豆、黒胡麻、くるみなど

 身体を温める食材:玉ねぎ、かぶ、にら、しょうが、鮭、海老、牛肉、鶏肉、羊肉、唐辛子、シナモン、紅茶など

 焼鮭、海老入りにら玉、ブロッコリーと胡桃のあえ物、黒豆、玉ねぎの味噌汁等といったおかず、シナモンや生姜がたっぷり入ったチャイなど一品でも取り入れたら、「冬に備えた食事で滋養しているな~。」と、改めて季節や身体に目を向けている自分の食卓が満たされるのではないしょうか。

心的エネルギー(リビドー)について

 心理学で備給という用語があります。別名カセクシスともいわれます。その意味は、心的エネルギーが、心の中にあるイメージや外的対象、身体の一部に向けられ、そこに流れ込むことを指します。心的エネルギーを別名リビドーといいます。

 この心的エネルギーがどこにどの程度備給されているかで様々な精神症状を誘発します。

 このエネルギーが強い精神疾患の代表的なものに双極性障害、ADHD、境界型パーソナリティ障害、摂食障害(過食嘔吐)、強迫性障害などがあります。これらの疾患の方々はもともと心的エネルギー強いため上手く調整しないと不安定な精神状態になりやすいです。仕事や勉強で上手くいかない場合や失敗した際に、よく「反省しなさい」とか「振り返って同じミスを繰り返さないように」など内省を中心とした対処方法が推奨され、周囲が本人に内省を強要することも多いです。
 しかしながら心的エネルギーがもともと強い場合、そのエネルギーが内省によって自分自身に向かってしまうと、自己破壊的になったり心がかえって不安定になり精神症状が悪化することがあります。かえって周囲にも大きな被害が及ぶこともあります。内省や反省よりは、それを超える実績や成功を目指して前を向くように励ましたり、行動を促す方がかえって落ち着くケースも多いです。例えると火の妖精であれば火の妖精のように活躍してもらえばいいのであって、水をかけて(内省させて)火を消さないことが大事です。過剰に燃えてあちこちで火事を起こすような行動を起こしているのであれば、そこそこの火事にコントロールする生き方を本人にアドバイスしたり、大火事を起こしても問題ない環境を構築するように本人の努力を促すのがいいかと思います。

 また心的エネルギーが時間軸のどこに備給されているかで現在のパフォーマンスは大きく変化します。上手くいかないのは現在ではなく過去や未来に過剰に備給されている場合です。

 過去への備給はトラウマ関係の疾患でよく認められます。高校生の診療で多いケースは中学受験や高校受験で希望の学校に入れず、大学受験を迎えて苦悩しうつ病になるケースです。過去の失敗体験がフラシュバックして、目の前の課題を安定的にこなすことができず、勉強に身が入らない状態になってしまいます。勉強できず余計に焦り悪循環に陥ります。過去のある一点に心的エネルギーが備給されている状態で、今ここのエネルギーが枯渇し、うつ状態になってしまうのです。治療として本来なら時間をかけて認知行動療法、トラウマの心理療法を行いたいのですが、受験近くなってギリギリ来院される方も多く時間的制約から対応に苦慮するケースが多いです泣。

 未来への備給としては、もちろんトラウマが背景にある場合もあるのですが、夢を過剰に持ちすぎてしまうケースや過度や将来不安で現在の生活がままならないケースなどが多いです。「夢をもって未来へ」とか「夢をもって生きて下さい」と学校の先生は語ることがあります。またマスメディアでもしばしば夢をもって努力して成功した人が称賛され、夢をもつことが推奨され、煽られることもあります。「将来~になる」とか「~大学に絶対合格する」など過剰に意識を未来にフォーカスすることで心的エネルギーが過剰に備給されてしまい、ぐるぐる考える行為そのもので疲弊し、たんたんと毎日勉強をしていく力がなくなってしまいます。夢はあくまで夢であって本来は寝ている状態でみるものです。ちゃんと目覚めてきちんと現実に向き合う方が余程、本当の夢に近づくのは逆説的ですが真実です。将来不安については軽度であればむしろ望ましいこともありますが、その不安のため現実の生活そのものに支障がでるのであれば未来へ過剰な備給と考えられます。


 また未来や過去は現在の積み重ねで変わるものであり、重要なのはあくまで現在・今です。過去の出来事は変わらないのですが、過去へのとらえ方が変わります。過去のトラウマを扱う診療でも、現在きちんと仕事している・日常を自分なり精一杯生活していることが治療の基本になります。現実を改善することで、過去に対する評価が変わることをトラウマ診療の一部として利用するという理屈です。現在自分なりにまずまずの生活ができていれば、過去のひどい体験についても「あんな体験したからこそ今の自分がある」と評価を変えることが可能になります。未来についても、当たり前ですが、現在・今の毎日の積み重ねが未来の姿につながっており、現在・今を生きること、つまり心的エネルギーを今に集中することが希望の未来への一番の近道です。バランスとしては過去1、未来2、現在7くらいが理想と思います。

 以上のように心的エネルギーと精神疾患や症状、今ここの重要性について簡単にまとめました。ご自身の治療の参考にしていただければと思います。

感情理解における言葉の重要性について

 以下、心理士鈴木のまとめた文章です。治療の参考にして下さい。

 心身相関という言葉があるように、心と体の状態は密接に関わっています。この繋がりについては、ぜひ当院のHPにある「内受容感覚」の記事をご参照ください。本記事では、この心身相関をベースに考えつつ、これを発展させて「感情粒度(かんじょうりゅうど)」という観点から、心を穏やかに保つ方法について考えたいと思います。

 緊張すると心臓がドキドキする、嫌なことがあって何となく胃がむかむかする等、内受容感覚(心拍などの身体内部の感覚)が感情状態に大きく関わっていることが分かっています。では、この感情は私たちの生活の中でどう表現されているのでしょうか。その表現方法の一つに、「感情を言葉にして表す」ということが挙げられると思います。

 「悲しい」「嬉しい」「腹立たしい」など、私たちは多くの言葉を使って、自分の中に生じた感情を他者に伝えたり、自分自身の中で眺めたりしています。カウンセリングでも、今困っていることや悩んでいることなど、心のうちに抱えているものを言葉にして見つめてみることが多いです。

 感情は大まかに、ポジティブ・ネガティブなものに分けられますが、このポジティブ・ネガティブそれぞれの中にも、様々な感情があります。例えば、「悲しい」はネガティブな気持ちだと言えますが、その延長線上には「絶望」があり、反対により強度の低いものとして「嫌な気持ち」などがあるかもしれません。これは「ネガティブ」という感情の種類は同じですが、感情の大きさが異なります

 自分の感じている感情がポジティブか、ネガティブかという判断については、少なくとも同じ文化圏であれば個人差はそれほどありません。ただ、感情の大きさ(強弱)を区別する能力の程度には、個人差があると言われています。このように、生じた感情を細やかに認識することやその程度を「感情粒度」と呼びます。感情粒度が高いということは、感情をより細やかに感じられていることを表します。この感情粒度が高いと、精神的健康を保つことにもつながると言われています。

 この感情粒度の高さには、感情の元である内受容感覚を知覚する能力も関係していると言われていますが、語彙としてその感情の概念を獲得しているかどうかが大きく影響していると考えられています。感情以外で考えてみると、例えば「木漏れ日」という言葉があります。葉っぱから漏れ出ている光のことを指しますが、この言葉は日本語特有の言葉(概念)で、外国語だと一言では言い表すことが出来ません。そのため、「木漏れ日」という言葉を知らない人は、木漏れ日を目で見て知覚することはできますが、その概念を持ち合わせていないため、「木漏れ日」には気づくことができません。感情も同様に、それを言い表す言葉を知っていてはじめて認識することができます。

 上記のことから、感情粒度を高めて生活していくためには、特に感情を表す語彙を増やすことが大切だと言えます。単語を調べる中で、新たな感情語との出会いとともに、自分の中の新たな感情を発見できるかもしれません。おすすめは、外国語を調べてみることです。ドイツ語では「Fremdschämen」(他人の不幸や恥ずかしい行為や失敗する姿に同情する気持ち)、「Futterneid」(食事をしているとき他の人が食べているものがうらやましくて仕方がない気持ち)のように日本語ではなかなか一言では表せない、けれども感覚的に理解することのできる感情語があります。

 特に高校生では、受験勉強の一環として英語の勉強をしていることも多いと思います。受験のためだけでなく、自分の考えや感情の幅を広げ、それまでとは違った世界の見方をすることにもつながると思うと、一層英語学習のやる気も出てくるかもしれません。