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周産期のメンタルヘルスが子どもに与える影響について

 妊娠中の母体の精神状態が子どもの将来に影響を及ぼすことが指摘されており、近年「胎児プログラミング」という概念が注目されています。これは、胎児期の環境要因(母体のストレスや栄養状態など)が胎児の発達に影響し、生後の健康や行動を方向づけるという考え方です¹。精神科領域においても、妊娠中の母親の精神状態(うつ病や不安症状)が、子どもの情緒的な不安定さや発達上の脆弱性に関与することが明らかになってきています²。妊娠中の抑うつや不安は決して稀な問題ではなく、妊産婦の約10%に認められるとの報告もあり、十分な注意が必要です。

 母体のストレス反応が胎児に伝わる仕組みとしては、ホルモン変化や自律神経の調節異常、胎盤機能の変化、さらにエピジェネティクスなど複数のメカニズムが提唱されています。

ホルモン変化や自律神経の調節異常
 妊娠中、母親が強いストレスや不安を抱えると、コルチゾールやアドレナリンといったストレスホルモンの分泌が高まります。これらのホルモンは胎盤を通過し、発達中の胎児脳に直接影響を及ぼします。具体的には、母体のHPA軸(視床下部-下垂体-副腎軸)が賦活化されると胎児循環中のコルチゾール曝露が増加し、神経回路の発達に影響する可能性が指摘されています。また、アドレナリンの上昇により子宮・胎盤血流が低下し、酸素や栄養の供給不足を通じて胎児発育を阻害するリスクも報告されています。

胎盤機能の変化
 母体に強いストレスや抑うつが存在すると、胎盤機能に影響を及ぼし、早産や低出生体重のリスクが高まることが知られています³。これ自体が、児の神経発達遅延や合併症リスクの増大に関与します。

エピジェネティクス
 エピジェネティクスとは、DNA配列そのものを変化させることなく、遺伝子の発現をオン・オフに切り替える仕組みです。食事、運動、喫煙、ストレス、胎内環境などが影響を与え、発達や疾病リスクに関わることが示されています。同じ遺伝子を持っていても発症に差が生じる背景には、このエピジェネティクスが関与しています。がんや糖尿病といった身体疾患のみならず、うつ病や不安障害など精神疾患との関連も明らかになりつつあります。母体の心理的ストレス(抑うつ・不安)は胎児のエピジェネティックな変化を誘導し、将来の精神疾患リスクを高める可能性があると考えられています。すなわち、母親の心の状態が胎児の脳や身体に「刻み込まれる」ということです。刻み込まれるとはやや恐ろしいとも思いますが、エピジェネティックな変化は可逆的であり、早期介入によって将来的なリスクを修正できる可能性があります。この観点からも周産期におけるメンタルヘルスや適切なケアは重要だと考えられます。

 心理療法(例:認知行動療法)は周産期メンタルヘルスにおいて有効とされていますが、現実的には定期的な実施が困難な場合が多いです。そのため、一定の薬物療法は必要不可欠であると考えられます。周産期(妊娠中・授乳期)の薬物療法は、母体の精神状態を安定させる効果と胎児・乳児への影響とのバランスを踏まえ、必要時には内服を行い、不要であれば減薬や中止を適宜検討し対応していくことが重要です。

  1. Lewis, A. J., Austin, E., Knapp, R., Vaiano, T., & Galbally, M. (2015). Perinatal maternal mental health, fetal programming and child development. Healthcare, 3(4), 1212–1227.
  2. Milgrom, J., Hirshler, Y., Holt, C., Skouteris, H., Galbally, M., East, C., Glover, V., Reece, J., O’Donnell, K. J., Walker, S. P., Malloy, S., & Gemmill, A. W. (2023). Early intervention to prevent adverse child emotional and behavioural development following maternal depression in pregnancy: Study protocol for a randomised controlled trial. BMC Psychology, 11(1), 239.

3 公益社団法人日本産婦人科医会. (2021). 妊産婦メンタルヘルスケアマニュアル 改訂版~産後ケアへの切れ目のない支援に向けて~. 厚生労働科学研究費補助金 健やか次世代育成総合研究事業 成果報告.