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五月病と現代版「ステューデントアパシー」について

新年度という大きな変化が起きる時期には、周囲の環境だけでなく、個人の内面においても大きな変化が求められます。4月は入学やクラス替え、入社、異動(周囲の異動も含む)、あるいは引っ越し・転勤といったライフイベントが複数重なることもあり、新しい人間関係やシステムへの適応が不可避となる季節です。特に対人緊張の強い傾向を持つ方や、周囲の期待に過剰に適応しようとする過剰適応の特性を持つ方にとって、この「新しい環境への適応」は心身に多大な負荷をかけます。高揚感とともに交感神経が持続的に活性化し、緊張状態が持続し心身ともに徐々に疲弊する結果を招きます。

いわゆる「五月病」と呼ばれる現象は、こうした4月の適応過程で蓄積された疲労が、ゴールデンウィークという一時的な緊張の弛緩の時期を経て、張り詰めていた緊張の糸が切れる形で症状として顕在化します。具体的には軽度の抑うつや意欲低下、漠然とした不安、あるいは頭痛や倦怠感といった身体症状まで多岐にわたり、統計によれば働く人の約5割がこの五月病を経験し、その自覚があった層の約3割が休職や退職に至っているというデータ*1があります。このようなデータは、この現象が単なる一過性の憂鬱にとどまらず、個人のキャリア形成に大きな影響を及ぼす可能性を示唆しております。

臨床的には、五月病の多くはDSM-5(精神疾患の診断・統計マニュアル第5版)における適応障害、あるいは軽症うつ病の診断基準を満たす病態です。適応障害は特定のストレス因の開始から3ヶ月以内に発症し、そのストレスにより強い苦痛や社会的機能の損壊が生じている状態と定義されます*2。ここで重要な点は、適応障害においてはストレスの原因から物理的・心理的に離れることで症状が軽快し、趣味などの関心事に対しては一定の意欲を維持できるという症状の状況依存性にあります。この特徴が、あらゆる活動への興味を喪失する典型的なうつ病との鑑別点となります。

この状態が長期化し、学業に対する無気力が固定化されたとき、病態は「ステューデントアパシー」というものに変容することがあります。この概念は1960年代後半、精神科医の笠原嘉によって提唱されました*3。笠原は、高学歴で知的に優秀であり、一見すると健康そうに見えるにもかかわらず、本業である学業のみを長期にわたって放棄し、留年を繰り返す学生たちの心理を「退却神経症」と呼び、その特異な臨床像に注目したのです*4。

スチューデントアパシーの本質は、全般的な意欲減退ではなく、学業という特定の対象に対してのみ無気力を示す点です。アルバイトやサークル活動、友人関係といった学業以外の社会的な面では活発であり続けるため、周囲からは単なる「怠け」や「甘え」と誤解されやすい傾向にありますが、その深層には「自己愛を守るための防衛機制」が働いていますといわれておりました。全力で学業に取り組み、その結果として自身の限界を突きつけられることを恐れるあまり、無意識のうちに「やればできるが、あえてやらない」というアパシー(無関心)のポジションを確保し、万能的な自己像を維持しようとする心理構造です。1970年代から80年代にかけて活発に論じられたこの病態は、現代においてもその根底にある心理機序は完全には失われていませんが、2020年代の調査では大学生の無気力感は統計的に有意に上昇していることが示されており*5、かつての「一部の知的エリートの悩み」という枠組みを超え、現代の青年層に広く蔓延する現象へと変化しております。

近年の精神医学的知見のアップデートにより、かつて笠原が記述したステューデントアパシーの症例群の中には、ADHD(注意欠如・多動症)やASD(自閉スペクトラム症)といった神経発達症の特性を持つ個人が相当数含まれていた可能性が考えられます(診断まではつかない閾値以下を多く含みます)。神経発達症の特性を持つ方は、自分の好きなことに対しては熱中し高い集中力・やる気を発揮しますが、実行機能(計画、持続的な地道な努力)を必要とする課題、自分の興味のない課題、あるいは大学生活のような自由度の高い環境下での自己管理において大きな壁にぶつかることがあります。

特にASD特性が強い場合、常同性という特性もあり全く同じ生活パターンを繰り返すことは得意なのですが、新学期などの新しい環境への変化ではどうしていいかわからずパニックをおこしがちです。新たな友人関係を作ることも不得手です。一定の構造化された高校までの教育課程では適応できていても、自律性が求められる環境で「何をどうしていいかわからない」という混乱に陥り、それが課題の先延ばしなどの特性も相まって学業からの完全な退避に至ります。閾値以下を含めた神経発達症の特性を背景にして、「やる気をだせ、大人になれ」という周囲からの心理的圧力と、「自分はダメだ」という本人の無力感が、現代的なアパシー形成の重要な側面と考えられます。

当院では、これらの状態を「治すべき病」と考えるのではなく、自身の特性を正確に認識し、長い社会生活をいかに戦略的に生き抜くかを検討する重要な契機と捉えております。時代による病態の変化から、古典的な精神分析的アプローチが有効な事例が激減しております。最近は特性に合わせた具体的な対処法のアドバイスやSSTなどの心理カウンセリング、必要最小限の薬物療法を主軸に、現実的な解決に焦点をあてた精神療法・心理療法を行うケースがほとんどです。

当院では以上のような背景を考慮した診療を行っております。初診ご予約希望の方はまずは診療相談または予約サイトからお問い合わせください。

【参考文献】
*1 日本労働組合総連合会(2023)「五月病に関する調査」.
*2 American Psychiatric Association (2013) Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders, 5th Edition (DSM-5). American Psychiatric Publishing.
*3 笠原嘉(1970)『退却神経症 ―現代的無気力の病理―』 弘文堂.
*4 笠原嘉(1977)『青年期 ―精神病理学的考察―』 岩波書店.
*5 田中正人, 佐藤健一(2021)「現代大学生の無気力傾向に関する統計的検討」. 日本青年心理学会誌, 33(1), 15-28.