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受験という試練に向き合う:「こころの成長」のために

共通テストを皮切りに、いよいよ受験シーズンが本格化します。この大きな試練を前に、多くの受験生が強い不安や緊張に襲われ、「この現実から逃げ出したい」という誘惑に駆られることでしょう。しかし、ここで再認識すべきなのは、受験の本質とは単なる学力の測定ではないということです。それは、自身の弱さや冷徹な現実といかに折り合いをつけるかという、精神的な成熟を試される場と考えられます。

ここでお伝えしたいポイントは以下の3点です。

・受験前日まで粘って勉強すること。

・逃げないこと

・結果は気にせず、目の前のことに没頭すること

社会において学歴という指標が重視される背景には、学力そのもの以上に、合格までのプロセスで必要とされる忍耐力、計画性、そして極限の緊張下でも逃げ出さなかったという「姿勢」への評価があります。企業が人材採用において知りたいのは、その人物が困難に直面した際、安易に投げ出さず、試行錯誤を繰り返しながら粘り強く対処できる資質を備えているかどうかです。

受験の世界にごまかしは通用しません。言い訳や泣き言も聞き入れられず、全員が同じ条件下で戦い、その結果を自己責任として引き受けることになります。これは、思春期特有の肥大化した自己イメージを脱ぎ捨て、等身大の自分をきちんと確認(自分は凡人・小市民と知ること)するための、極めて重要なステップとなります。

現代は進路の選択肢が多様化し、「受験だけが人生ではない」といった心理的な合理化がしやすい環境にあります。きちんとした理由で受験を断念することは問題ありませんが、単に「試される恐怖」から逃げるための「回避」であれば、その後の人生において、あらゆる困難から逃げ続けるという負のスパイラルに陥りかねません。

心理学的に見て、問題の先送りという「回避行動」は、膨大な利息を伴う「心の借金」です。未完了の課題を強く記憶し続ける「ツァイガルニク効果」というものがあります。問題を放置している間も脳は無意識にエネルギーを消費し続けます。これは、電源を切っていないスマートフォンのアプリがバッテリーを消耗し続ける状態に似ており、回避によって身軽になるつもりがかえって慢性的な疲労感や不眠、ひいてはうつ状態を招く要因となります。

さらに深刻な代償は、自己肯定感、すなわち「自分なら困難を乗り越えられる」という根源的な自信が失われることです。回避を繰り返せば不安は雪だるま式に膨れ上がり、ゲームやSNSなどの妄想に近い世界へ逃避するしかなくなります。しかし、その付けは必ず回ってきます。回避によって得た一時的な平穏は、後に自己嫌悪や社会への破壊衝動という形で、自分自身からの激しい復讐を招くことになるからです。

受験において最も尊いのは、合否という結果そのものではなく、いかなる結果であっても潔く受け止める強さを養うことにあります。目の前の課題に没頭できるか否かが最も重要です。たとえ不合格であっても、最後の日まで粘り抜き、必要であれば医療や薬の力も借りながら現実と対峙したという事実は、人としての成長を促し、自尊心を守り抜く糧となります。逆説的ですが現実にきちんと向き合い、もがき粘り苦しむことが、苦しみから抜け出すための唯一かつ最短の道です。人生には波があり、成功もあれば失敗もあります。しかし、失敗を単なる汚点とせず、それを引き受けて次へと繋げる姿勢こそが、その後の長い人生を支える真の知恵となるはずです。

受験という機会を「自分を育てるためのトレーニング」と捉え直すことで、今抱えている不安との向き合い方も、自ずと変わってくるのではないかと考えます。最後の日まで粘って頑張って下さい!