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目次
心的外傷後ストレス障害(PTSD;Post Traumatic Stress Disorder)/トラウマ・解離の外来
PTSD(心的外傷後ストレス障害)の定義
「トラウマ」や「PTSD(心的外傷後ストレス障害)」という言葉は、現代社会において広く認知されるようになりました。PTSDの診断が確定するためには、まず、医学的に定義された「トラウマ」に該当する出来事を実際に体験していることが大前提となります。この「トラウマの出来事基準」は、国際的な診断基準である『DSM-5(精神障害の診断と統計マニュアル第5版)』において、明確に規定されています。
DSM-5が指針とする医学的なトラウマの定義は、「実際にまたは危うく死にそうになる、重傷を負う、または性暴力に遭う」といった、生命を脅かす、あるいは身体の完全性に対する深刻な脅威を伴う出来事とされています。
具体的には、以下のような出来事が該当します。
- 死の恐怖に直面すること:大災害、重篤な事故(交通事故、火事など)、生命を脅かす重病、戦闘体験など。
- 性暴力被害:性的な暴行、
- 生命を脅かすような暴力や重篤なネグレクト:児童虐待の中でも、命に関わる身体的暴力や、極度の放置(ネグレクト)など。 性的虐待など。
- 他者が上記のような出来事を体験するのを目の当たりにすること:惨事の現場に居合わせる、親しい人の凄惨な死を直接目撃するなど。
普遍的な苦悩との区別
現代社会においては、精神的な深刻な苦痛や人生の大きな困難を、すべて「トラウマ」という言葉で表現する傾向が見られます。しかし、上記の医学的な基準を満たさない日常的な苦しみや、対人関係の葛藤、自己肯定感の低さからくる悩みなどは、本来、「傷つきやすさ(脆弱性)」や「自己愛の葛藤」といった、人間の人生上の普遍的な悩みとして捉えられるべきものです。もちろん、これらの苦痛が軽視されるべきではありません。その苦悩は現実的で、時には日常生活に大きな影響を与えることもあります。しかし、その対処法として必要なのは、特殊なPTSD専門のトラウマケアではなく、現実的な生活環境の調整、対人関係スキルの習得、そして認知行動療法(CBT)といった、現実社会に根ざしたアプローチです。自らの抱える苦悩を現実として受け入れつつ、現実に根ざした生活の再構築を目指すことが、より望ましい心理的回復への道筋となります。
トラウマ的出来事への通常の反応:身体の非常時モード
命が脅かされるような危機的な体験や、性暴力被害のように身体と精神に甚大な苦痛を与える体験に遭遇したとき、私たちの身体は、本能的な防衛システムを起動させます。これは、ガスの安全装置が異常を検知して作動するのと同様に、生命を守るための正常な防衛反応です。自動的に身体は「非常時モード」へと切り替わります。
この非常時モードは、大まかに以下の3つの基本的な防衛反応として現れます。
1. 闘争(Fight:戦う):脅威を排除しようと、身体が攻撃的な行動を取る準備をするモードです。心拍数の上昇、筋肉の緊張、アドレナリンの放出などが起こります。
2. 逃走(Flight:逃げる):脅威から迅速に遠ざかろうと、身体が逃げるための準備をするモードです。足の筋肉に血液が集中し、行動力が一時的に高まります。
3. 凍結(Freeze:フリーズ):闘争も逃走も不可能だと判断された場合に、身動きが取れなくなり、痛覚が麻痺したり、意識がぼんやりしたりするモードです。これは、動物が捕食者から身を守るための「死んだふり」にも似た、究極の防御反応です。
過半数の人々は、時間(数週間から1ヶ月)の経過と安全な環境の中で、自然治癒の力(馴化)が働き、この非常時モードが落ち着き、症状も軽減していきます。しかし、被害から1ヶ月以上経っても、上記のような症状が持続し、日常生活、仕事、対人関係などに深刻な支障をきたしている場合、それは正式に「PTSD(心的外傷後ストレス障害)」と診断されます。PTSDは、単なる「心の傷」ではなく、脳と身体のストレス反応システムが恒常的に異常な状態に固定されてしまった、医学的な障害です。

PTSDの症状
単回性PTSD(一過性の非日常的な恐怖体験によるもの:自然災害、事故、事件、レイプなど)
- 再体験(フラッシュバックなど)
- 過覚醒(常に緊張し、警戒している状態)
- 回避(トラウマに関連する思考、感情、場所などを避ける)
複雑性PTSD(日常的に繰り返された恐怖体験によるもの:虐待、繰り返しの性暴力、校内暴力など)
上記に加え、以下の症状が見られます。
- 感情の調節困難:爆発的な強い感情や感情の麻痺(感情がわからなくなる)が生じ、感情に振り回されているように感じる。
- 自己概念の変化:自分自身や物事への捉え方が極端にネガティブになる(強い自己不信)。
- 対人関係の障害:強い自己不信や他者不信から、人間関係で適切な距離を保ったり、自己主張をしたりすることが難しくなる。その結果、さまざまなストレスや悪循環に陥りやすくなる。
これらの症状は、「自己組織化の障害」と呼ばれます。「自分の心の調整方法が分からなくなる」状態と言い換えられます。また、強すぎるストレスを解消する方法が分からず、過食やODなどの自傷行為に依存するといった、依存・嗜癖の問題が生じることもあります。

自然治癒力が阻害される要因
多くの場合、私たちが生まれながらに持っている自然治癒力(馴化)や周囲のサポートによって、非常時モードが解除され、トラウマへの反応は次第に落ち着いていきます。脳が「もう安全だ」と判断し、安全・安心の感覚を取り戻すと同時に、出来事の経緯や意味づけが整理され、「はじまり」「途中」「終わり」がある一つのまとまりのある物語として記憶されていきます。大人になった自分が振り返ったときにちゃんと時間的な距離を保って思いだせたり(懐かしむなど)、何らかの気づき(責任の所在が分かるなど)が得られている状態です。しかし、以下のような理由で、この自然治癒の力が上手く働かなくなる場合があります。

① 出来事が凄惨すぎたり、幼少期から繰り返し被害に遭っている場合
あまりに恐ろしい出来事で自身も周囲も受け入れがたい場合や、幼少期に複数回の被害を受けた場合、神経系の「過覚醒」が続き、非常時モードがなかなか解除されません。これは「PCの電源が切れず、重いアプリがバックグラウンドで動き続けている状態」に例えられ、ます。以下のような苦痛が生じやすくなり回復がますます遅れやすいです。
② 回避行動によりネガティブな認知が強化されている場合
トラウマ体験について「思い出せるか」「話ができるか」は、回復に大きく関係しています。
例:大地震の被災者(1年後の自然治癒率:約93%)とレイプ被害者(1年後の自然治癒率:約30%)を比較すると、レイプ被害の方がPTSD発症率が約70%と高いデータがあります。これは、地震が比較的話しやすいのに対し、レイプ被害は被害者の方に罪悪感や恥の感情が生じやすく、容易に話せない特徴があるためです。
「つらいから回避する」(思い出さない、話さない)のは自然なことですが、この回避を重ねることで考え方がネガティブに変化し、回復が遅れることが分かっています。考え方の変化は主に以下の2つです。
1.「すべてが危険で恐ろしい」という考えの形成:本当に危険なこととそうでないことの区別がなくなり、暗いところ、背が高い人、動悸や過呼吸など、すべてが恐怖に紐づき、生活の中で圧倒的な恐怖を発動させるものが増えていく。
2.「自分は無力だ」という考えの形成:恐怖やフラッシュバックに圧倒され、対処困難となることを繰り返すうちに、「思い出すと自分はおかしくなる」「自分は自分をコントロールできない」という考えが生まれる。
③ 依存や嗜癖によって、回復のための基本的な土壌が整備されていない場合
フラッシュバックや考え方の変化による苦痛を「自己治療」しようとして、さらなる回避、嗜癖、依存といった二次的・三次的な症状が現れることがあります。これにより、人生全体がトラウマ体験に支配され続ける場合があります。
記憶処理の停滞とフラッシュバック
上記のような要因によって、記憶の処理が停滞すると、トラウマ体験は単なる「過去のつらい出来事」ではなく「まだ終わっていない、現在進行形のつらい出来事」として脳内に居座り続けます。この未処理の記憶には、当時の身体感覚(動悸、息苦しさ、震え、胃の痛みなど)や生々しい感情(恐怖、怒り、悲しみ、絶望感など)が、まるで封印されたように当時のエネルギー量のまま残っています(冷凍保存、どこでもドアと例えられることもあります)。

この断片化されたバラバラな記憶は、脳内で適切に整理・統合されていないため、まるでトラウマが今ここで起こっているかのように、非常に不安定な状態で存在しています。そのため、以下のような些細なきっかけ(トリガー)によって、容易に活性化され、日常生活に大きな影響を及ぼし続けます。当時の恐怖や苦痛を再体験するフラッシュバックや、圧倒的な強い感情反応(パニック、激しい怒り、凍りつきなど)が引き起こされます。これにより、集中力の低下、過度の警戒心、回避行動、人間関係の困難など、日常生活や社会生活に深刻な支障をきたすのがPTSDの主要な特徴です。
治療
「トラウマ治療=専門家が治してくれるもの」というイメージを持たれることがありますが、現実は異なります。治療を進めるエンジンは、あくまで患者さん自身の「今の状況を変えたい」「自分の人生を取り戻したい」という意志です。私たちはそのプロセスを全力でサポートしますが、最後に過去を乗り越え、新しい意味を見出すのはあなた自身です。また、その覚悟と主体性こそが、回復への最も確かな道しるべとなります。
0. トラウマ治療の前に(初診予約前の注意事項です)
治療においては時間的・経済的負担が生じるため、治療上、生活環境に制約がいくつかございます。
1点目は当院までの通院時間です。治療の中で症状不安定になることがあり、症状悪化時にすぐに受診できる体制が必須です。当院の基準ではありますが、自宅から当院まで片道1時間未満の方のみを治療対象としております。
2点目は経済的な問題です。当院では医療保険の助けも借りつつ比較的安価に治療を行っておりますがトラウマ治療では通院が多くなりがちです。治療費の問題で継続困難になることがあります。経済的に困窮されている方についてはまずは行政へのお問い合わせが必要となり、当院では治療対象外となります。
3点目は現在の生活環境です。トラウマの原因となる人(家族や恋人など)と同居するなど常にトラウマに曝露され続けている方への治療は困難です。まずはトラウマの原因となる方と距離をとることが必須となります。
治療の中で過去を想起する必要があり、激しいトラウマ関連症状(フラシュパック、驚愕反応、過覚醒症状、悪夢を含めた不眠症、うつ症状)がでることがあります。トラウマ治療は心理が主ですすんでいきますが、医師の役割としては、激しいトラウマ関連症状を緩和するために薬物治療を行い、治療継続の可否について判断いたします。トラウマの治療介入においては患者さんの安全を第一に優先しております。特に希死念慮が強くなり自殺企図の可能性が高い場合は、治療自体を中断させて頂きます。医師の役割は、客観的な視点で治療全体のマネジメントをすることです。
トラウマ治療にはボディコネクトセラピー(BCT)、USPT、ホログラフィートーク(HT)、持続エクスポージャー療法(PE)、EMDRといった様々な技法がありますが、大切なのは「どの技法を使うか」以上に、治療の根幹にある考え方です。以下私たちが大切にしている治療の流れと思想をまとめました。円滑なカウンセリングを実施するため、ご予約の前にぜひこちらの記事に目を通していただければ幸いです。
1. トラウマ治療のステップ
トラウマ治療は、治療者から一方的に「受ける」ものではありません。患者さん自身が自らの人生の主導権を取り戻していく、能動的なプロセスです。その歩みには、大きく分けて3つの段階があります。
第1段階:回復のための土壌を整える
過去と向き合うには、それに耐えうる心身の状態が必要です。まずは、今の生活を守るための基盤を自分自身で築いていきます。
生活の安定:睡眠、食事、活動のリズムを整えることは、治療の最も重要な土台です。
対処スキルの獲得:フラッシュバックや強いストレスに襲われた際、自分を傷つけずに凌ぐ方法を試行錯誤しながら身につけます。これは、戦うための武器を揃える作業といえます。
第2段階:過去の記憶と向き合い、整理する
専門的な技法(PE、EMDR、BCT、TFT、HTなど)を用いながら、避けてきた記憶に向き合います。これは非常に痛みを伴う作業ですが、避けていては得られない変化があります。
事実を直視する:「親に愛されなかった」「犯罪者により理不尽に人生を壊された」という残酷な事実に直面し、何が起きて何が起きなかったのかを整理します。
自ら答えを出す:治療者は並走しますが、答えを出すことはできません。「この過去を抱えながら、それでも自分は生きていく」という納得解を、あなた自身が自分の力で導き出す必要があります。自分で見つけ出した答えだからこそ、その後の人生を支える本物の力(原動力)になります。
第3段階:その後の現実を生き抜く
過去の記憶を整理したあとに続いていく、長い人生を社会の中で生きていく段階です。第2段階が終わった後に「意外と気持ちが上がらなくて拍子抜けした」という患者さんも多くおられます。これは過去のつらさによる症状ではなく、現実の自然な痛みです。フラッシュバックや解離が起きなくなってHAPPYな人生が待っているわけではありません。現実の生活とは、淡々としたルーティンや理不尽なストレスの繰り返しです。それでも自分なりの喜びや幸せを見つけて心身を調整していくというものです。
日常の継続: 就労や就学など、社会とのつながりの中で一歩ずつ進みます。
人生の再構築: トラウマの影響に支配されるのではなく、自分自身で決めた価値観に基づいて、日々の現実を積み重ねていきます。

2. 魔法の方法はない:自ら舵を握るための「研究」と「実践」
トラウマ治療を始める際、「過去の辛い記憶を一瞬で消し去るような、画期的な魔法」を期待されている方もます。しかし、残念ながらトラウマ治療に魔法はありません。
治療当初は、華やかな劇薬ではなく、驚くほど地道で泥臭いプロセスの連続です。それは例えるなら、「受験勉強」「就職活動」「研究」といった、目的を持って自ら取り組む活動に非常に似ています。受験生が志望校の出題傾向を分析するように、まずは自分を苦しめているトラウマや、今起きている困りごとの「正体」を徹底的に研究します。例えば傾向を分析するために、どんな時にフラッシュバックが起きるのか? 心が乱れる前兆は何か?というように ターゲット症状を治療者と一緒に冷静に観察します。研究結果に基づき、「こうすれば少し落ち着くかもしれない」という対策を一つずつ試します。そして 「ちょっとマシになった」という小さな成功体験を、階段を上るように積み重ねていきます。
また、フラッシュバックなど現在も続くトラウマの症状は患者さん自身の脳が作り出しているものなので、患者さん自身の心身を整えることが非常に大切です。まずは身体の基盤を作るために、「朝起きて夜眠る」「昼寝を控え、日中に活動する」「健康的な食事を摂る」「適度に体を動かす」ことが欠かせません。乱れた睡眠習慣で悪夢を見るのは自然なことで、睡眠習慣を整えることが第一です。また、ストレスを感じたときに自傷行為や破壊的な行動に逃げるのではなく、自分を助けるためのセルフケアを選択し、適切に人と関わる方法を習得していく必要があります。
もちろんこの過程で治療者は最大限に知識や方法をお伝えします。当院では特に認知行動療法の理論をモデルにした方法を採用しています。認知行動療法はストレスと付き合う方法を自ら見つけていくというもので、トラウマからの主体的な回復に必要な概念が盛り込まれているからです。認知行動療法では、「認知」と「行動」という変容可能な部分に焦点を当て、どの認知・行動をすることが自分に望ましいか、検討と実践を繰り返します。
当院のカウンセリングでは以下の認知行動療法をトラウマ治療に並行して実施することができます。
- 考え方のくせやスキーマに向き合う認知行動療法
- 社交不安症、パニック症、強迫症、恐怖症への認知行動療法
- ネット依存・過食などの自己破壊行動への行動療法(緊急性が高い場合はより専門的な医療機関での治療を推奨しますので当院では対応できないと判断する場合もあります)
- 不眠への認知行動療法
- 問題解決技法
- 感情の調整と対人関係スキルを高める認知行動療法(STAIR)など
上記に加え、フラッシュバックへの短期的な対処法やアサーションスキルの練習、コーピングレパートリーやサポート資源の拡充も目指します。
治療者は知識や経験を総動員しますが、最終的に治療がうまくいくかどうかはカウンセリング以外の時間で患者さんがどれだけ研究を続けられるかという「患者さんの行動」にかかっています。あなたの代わりに食事を摂り、あなたの代わりに眠り、あなたの代わりにフラッシュバックの波を乗り越えられる人は、世界に一人もいないからです。
3. 意味のある苦痛 ~厳しさの中に~
慰めや癒やしに終止すれば楽かもしれませんが、本当に治そうとするとき、トラウマ治療はじめカウンセリング自体が楽なものではありません。「過食」「喫煙」「昼寝」「ネット」「自傷」「OD」などの劇薬のほうが正直に言って即効性はあります。劇薬によってストレスを忘れていた人が、「呼吸法やグラウンディング」「認知行動療法」などの「最初の効き目はマイルドだけど長期的な効果がある」という方法をやってみても、最初は「不快」です。「めんどくせ・・・」「なんだこれ、効かないじゃん」と思うのが普通です。
最初のうちは、効き目の地味さと面倒くさのほうが勝つはずです。それでも1週間、1ヶ月と続けた後に自分の記録を振り返ると、「少しずつマシになっていること」や「症状に振り回される自分ではなく、打開策を模索していた自分」に気づけ、それがささいな自信や希望になるのです。この地味さと面倒さは確かに苦痛ですが、これは意味のある苦痛です。
この「地味さ」や「面倒さ」こそが、あなたが物や破壊的な衝動に支配されるのではなく、自分の意志で自分をコントロールしようとし始めた証拠でもあります。ただただ厳しさがありますが、この厳しさの中に得るものがあります。それは、失われていた「人生への主体性」を取り戻すということです。「自分の人生は自分にかかっている」という覚悟が、過酷な記憶に向き合う第2段階やその後の平凡な人生を生きていく第3段階の最大の命綱となります。

4.最後に~その苦痛に「意味」を与えるのはあなた自身~
ここまで、トラウマ治療がいかに地味で厳しく、そして主体性を求められるものであるかを述べてきました。読み進める中で「自分にそんなことができるのだろうか」「なぜそこまで苦しい思いをしなければならないのか」と、重圧を感じた方もいるはずです。迷っている方は試しにカウンセリングを受けてから判断していただいても構いません。
人生には、二種類の苦痛があります。一つは、過去の傷に振り回され、自分を削り続ける「受動的な苦痛」です。もう一つは、自分の人生を取り戻すために、自らの意志で向き合う「能動的な苦痛」です。私たちが提示した第1段階、第2段階の厳しさは、後者の「能動的な苦痛」です。しかし、このプロセスがあなたの人生にとって耐える価値のあるものかどうか、意味のある苦痛かどうかを見極めるのは、治療者ではなく、あなた自身です。
治療のゴールとは?
①記憶の「過去化」:記憶は過去のものであり、今の自分を脅かす危険ではないと気づく
トラウマを抱えた状態では、脳の中で「過去」と「現在」の境界線が曖昧になります。フラッシュバックが起きるとき、脳は当時の恐怖を「今まさにここで起きていること」として再体験してしまいます。 治療の第一歩は、この圧倒的な恐怖を「古い記憶」であり、「今の自分を傷つけるわけではない」と体感することです。そう心身が納得することで、ようやく「今、ここ」の安全な現実を足がかりにできるようになります。
②人生の「連続性」:それでも人生は続くことを、真に実感する
激しい外傷的出来事は、人生を「事件の前」と「事件の後」で分断してしまいます。被害者は、自分の人生が終わってしまったかのような感覚、将来について考えられない「断絶感」に襲われます。 しかし、回復の過程において、人生は続いていることを実感する瞬間が訪れます。あんなに過酷なことがあったけれど、それでも自分は今日まで生きてきた。その地続きの感覚を取り戻したとき、過去は「自分の歴史の一部」になっていきます。
③自己の「主体性」:現実を生きる主体性を取り戻す
トラウマの本質は「圧倒的な無力感」です。それは自分ではどうすることもできない出来事によって、心身のコントロールを奪われた経験です。 治療の最終的なゴールは、この奪われた主導権を取り戻すことにあります。自分の感情を整え、自分の意思で環境を選び、自分の価値観に基づいて行動する。自分の人生を自ら動かしていく「主体」へと立ち返ることこそが、現実の世界を再び自分の足で歩き出すための力となります。
PTSDの治療において、技術的な手法も重要ですが、最終的にはこの「過去との決別」「人生の受容」「主体性の回復」という3つの確信に辿り着くことが、回復への何よりの道標となります。
耐性の窓とポリヴェーガル理論
ソマティック(身体志向)な治療技法の基本概念であるポリヴェーガル理論と耐性の窓について詳細をまとめるので参考にして下さい。
「興奮して、頭にカーっと血がのぼり、よく考えられない」「フリーズして思考停止してしまった」「気持ちのアップダウンがあまりに激しい」など自分でコントロールしづらい状態に陥ることがあると思います。その際、どうしてそのような状態になってしまうかを理解する上で、ポリヴェーガル理論はとても役に立ちます。また、そのような状態では、理性的に考えることは難しくなるため、まずは自分の体と心が安心を感じるよう落ち着かせることが大切になります。
ポリヴェーガル理論は、1994年に精神医学博士のスティーブン・ポージェスが提唱した理論です。

ポージェス博士
- 健康な人の心臓は迷走神経(≒副交感神経)が良い感じに働いているぞ。一方、迷走神経(≒副交感神経)が強く働きすぎると、乳幼児突然死など命に関わるようなことも起こるのか
- 迷走神経は健康にとって良い神経なのか、良くない神経なのか、矛盾した神経のようだ。どうやら迷走神経は2種類の働きがあるようだ
- 「体全体を止める」という働きと「安心してリラックスする」というは働きの2つに大別できそうだ
- 迷走神経(≒副交感神経)の働きは生物の進化と関係がありそうだ
- 「体全体を止めるようなブレーキ」の機能を持った迷走神経は爬虫類にも存在するのだな。「背側迷走神経複合体」と呼ぼう
- 「安心してリラックスする役割」の迷走神経は哺乳類以降に発達しているようだ。「腹側迷走神経複合体」と呼ぼう
ポージェスが博士は上記のような思索を経て、「生物が危機的状況の時、どの神経経路を使って自己調整・環境適応するのか」を生物の進化に伴う自律神経の発達から説明しました。それまで、生物が危機的状況になった時、交感神経が優位になり「闘争―逃走本能」で敵と闘うか逃げるか、あるいは副交感神経が優位になり「死んだフリ・凍りつき」で攻撃を免れる方法をとっていると考えられていました。しかし、ポージェス博士は、副交感神経を2種類(背側迷走神経複合体・腹側迷走神経複合体)に分け、人などの高等哺乳類は、腹側迷走神経複合体を働かせ、「他者と交渉する」等の方法をとることを明らかにしました。

人などの高等哺乳類の生存戦略

進化の過程で神経がそのような働きをするということを考えると、高等哺乳類である人間も、「闘争・逃走状態になってカーっとしたり、頭が真っ白になってフリーズしてしまうのは体が反応してそうなってしまうのだ。そのような状態を理性でコントロールするのは難しい・・・」という気持ちになれるのではないでしょうか。そのような状態の自分を「こうすべき」「こうしなきゃ!」「できない自分はダメだ…」等いたずらに責めるのではなく、むしろ「自分の体と心が危険・非常に嫌だと感じている。まず危険・非常に嫌なものから離れ、安心感を取り戻さないと!」と、考えることが大切です。
さて、改めて「頭に血がのぼってよく考えられない」「フリーズして思考停止してしまった」「気持ちのアップダウンが激しい」状態を考えてみます。
「頭に血がのぼってよく考えられない」 = 交感神経が優位な状態
「フリーズして思考停止してしまった」= 副交感神経(背側交感神経)が優位な状態
「気持ちのアップダウンが激しい」=交感神経と副交感神経(背側交感神経)が交互に行き来する状態
と言い換えられます。
これらの状態をもう少し詳しく見ていきます。
| 交感神経系 | 背側迷走神経系 | 腹側迷走神経複合体 |
|
|---|---|---|---|
| 神経の 働き |
アクセル ・闘うか、逃げるか ・緊張、興奮、覚醒 ・過剰に活性 →パニック、キレる、躁状態 |
ブレーキ ・不動化 ・休む、蓄える ・休息、消化、鎮静 ・過剰休息 →うつ、引きこもり状態 |
チューニング ・調整・調律 ・関わる、つながる (社会的関与) ・安全を感じた時に活性化 |
| 思考 |
*どうしたらいい? 何が正しい? *ミスしちゃいけない *~すべきだ! といった「正しいー間違い」「普通ー異常」「良いー悪い」というジャッジメント的な考え方が自動的に出てくる。 =戦うことと逃げることに役立つ思考 |
*どうせできない、 もういいや… *放っておいてほしい *終わりにしたい といったストレスとなるものからいったん離れて一人になり、活動レベルを下げて充電の方向に向かうことを目的とした考え方。「ネガティブ思考」と呼ばれ、好きでそう考えていると思われがちですが、背側系が効いているとこのような考えが自動的に出てきてしまう |
*なるようになる *あれもいいし、これもいい (あれかこれか、の二者択一ではない) *まかせてみよう *すごいな、感動する~ *一緒に何かやろうよ *いつもありがとう! *おかげ様~ |
| 感情 |
*心配、不安、恐怖、焦り、動揺、パニックといった落ち着かない感情 *不愉快、不機嫌、怒り、憤慨、恨み、憎悪、憎しみといった戦いたくなる感情 |
憂うつ、悲しみ、あきらめ、途方にくれる、恥、劣等感、罪悪感、無気力、無感動、消えたい・死にたい気持ち・・・体が止まるために必要な感情 | 安心感、安全感、信頼感、穏やか、平和、愛おしい、あたたかい、好奇心、喜び、爽やか、感動的、仲間感、一体感、おまかせ感、誇らしいといったような感情・感覚 |
| 身体 |
*敵や危険物を見つけたり、逃げ場所を見つけるために目は動き、それ以外は目に入らず視野狭窄になる。 *眉間にしわがより、口は食いしばりがち。 *顔は赤く、熱っぽさやほてりを感じることもある *呼吸は早くなり、動悸がする。 *手のひらや足の裏にも汗をかき、戦うために物をつかんだり早く動けるように手足の汗ばんだ状態が準備される。 *戦っている時は食事をしている場合ではなくなるので、胃腸の動きは抑制され、食べる気持ちになりづらい。また排泄している場合ではないので、便意を感じにくくなったり我慢したりするので、便秘になりがち。 |
*体全体が止まる傾向 *倦怠感があり体が重く動きづらい *力が入りにくくなり疲れやすい *外の情報を取り入れる余裕がなくなる、あるいは取り入れたくなくなる *光や音、他人とも接したくなくなる *食事がとりたくなくなる *食べ物の味が感じにくくなり、おいしさを感じられない *においや肌触りなども含めた 五感が鈍くなる |
*脈拍、血圧、呼吸の速さ・深さもちょうど良い *筋肉も力みすぎず、脱力しすぎずちょうど良い *話すスピードや動作の速さもちょうど良い *表情も目元が柔らかく、口角が上がって笑顔に近い *声の高さも、甲高いた高音でもなく威嚇するような太い低音でもなくちょうど良い ➡ 相手に安心感や安全感を与えたりする意味でちょうど良い。人が安心しやすい非言語表現が自然と出ている。 |
上記の「交感神経系(アクセル)」 「背側迷走神経系(ブレーキ)」 「腹側迷走神経(チューニング)」3つの神経状態と、それぞれの神経状態がブレンドした「交感神経系(アクセル)」×「腹側迷走神経(チューニング)」、「背側迷走神経系(ブレーキ)」×「腹側迷走神経(チューニング)」、「交感神経系(アクセル)」×「背側迷走神経系(ブレーキ)」の6つの状態のいずれかに人の神経状態はあるとされています。
この「腹側迷走神経(チューニング)」が働いている領域を、ダニエル・シーゲル博士は、耐性領域(耐性の窓)と表現しています。耐性領域(耐性の窓)は個人がストレスに対して許容できる範囲のことです。 この領域では、ストレスに対して対処できたり、感情のコントロールを保てたりします。耐性の窓の幅は個人差があり、幅が広い人ほど、ストレス対処や感情のコントロールを保てます。また、トラウマ治療では、神経状態が耐性領域にある状態でトラウマを想起することで、トラウマの処理を進めます。逆に、耐性領域以外での神経状態でトラウマを想起しても、ストレスを感じるだけで処理が進まないとされ、耐性領域を重視しています。

自分の神経状態は、今、上図のどこに位置していますか?
そこに意識を向けることが、自分の調子を整える大切な一歩になります。そして、腹側迷走神経(チューニング)を活性化させることが大切になってきます。自分の調子と整えるツールとして、ぜひ、ポリヴェーガル理論や耐性領域の考え方を活用してみてください。
解離性障害について
どんな病気?
精神科で扱う奇妙な疾患に解離性障害といったものがあります。トラウマ体験のある方で出現することが多いのでここでまとめます。
記憶が一時的になくなってしまう健忘、気付いたら違う場所にいるといった遁走などといった奇妙な現象のことをさします。基本的に症状が出現することが、自分のこころや脳を守るための防衛装置として働いている考えていいと思います。パソコンに例えると、強い負荷がかかったときにシャットダウンして機能が停止しパソコンを故障から守るイメージでいいと思います。
特に虐待を受けたトラウマ体験のある方で合併することが多いのですが、女性で元々自我が弱くぼんやりしやすい人もこの障害を合併している可能性があります。小学生から思春期の女性に多い疾患です。
漫画ドラえもんで「いやなことヒューズ」という道具があるのですが、その漫画の内容がこの解離性障害の症状にまさに一致するので一読するのをお勧めいたします。


症状は?
以下に具体的な症状をまとめていきます。
解離性健忘:最近の出来事の記憶喪失であり、自分の生活に関する記憶の喪失のこと。トラウマ的あるいはストレス性の出来事に関連するといわれます。
解離性遁走:健忘に加えて、家庭や職場を離れて旅をすること。ただしその期間の行動は奇妙ではない。例えば切符を買って東京から大阪に行ってたこ焼きを食べてホテルに泊まるような行動まで可能である。ただし本人にその間の記憶はないのです。
離人感:自分の感覚・経験が自分でないような、よそよそしい、失われているような感覚。情緒の喪失といった体験。
現実感喪失:人々および周囲全体が非現実的で、よそよそしく、人工的で色彩がなく生気がないように感じること。何かベールが被って現実感がないような状態のこと。

体外離脱体験:何らかの原因で自己意識(見ている自己)が自分の身体から離脱して、上から自分の身体や周囲.の事象を見下ろすという現象。ドッペルンガー現象(自己像幻視:自分の姿をみる)というものがありますがそれも体外離脱体験の一種と思われます。
気配過敏:後ろに誰かいると感じる感覚です。実際は自分の魂というか生霊という存在を感じています。
多重人格:おのおの独立した記憶、行動、好みをもった人格が複数存在すること。一つの人格から他の人格への変化は突然起こる。トラウマ体験と関連するといわれております。治療は難渋することが多いですが、自我状態療法といった心理療法が有効な場合があります。
転換性障害(運動・感覚の解離):解離性障害の兄弟のようなものです。急に腕が動かなくなる、けいれんを起こす、声がでなくなる、耳が聞こえなくなる、目が見えなくなるといったもので運動または感覚が通常から解離する状態をさします。辛い状況や不快な葛藤から逃れるため、自分で対応できないので他者に依存するためといった心理的背景があります。
以上、なんとも奇妙な症状で幽霊の世界のような話もありますが、もちろんクリニックでの診療ですので幽霊の世界は扱いません笑。
治療は?
トラウマや外傷に関連しないものであれば自然に軽快することが多いです。
いやなことヒューズの漫画の内容にもありますが、解離の症状は自身のこころや脳を守るための安全装置として働いている面があるのです。解離の症状が頻繁に出現する方は、安全装置を必要以上に使っているかもしれないです。逆に無理やり症状を取り除くと生きづらさが悪化したりうつ状態に陥ったりすることもあるのが難しいところです。
生きていく中で様々なストレスや耐え難い出来事に遭遇したときに、安全装置を使わなくて済めば解離の症状は改善すると思います。人間的に成長し現実に対して強く立ち向かっていけると解離は必要なくなります。もちろん必要あれば他者の力を頼れるのも能力のうちです。
しかし、解離症状が癖のようになっている方も多いのが現実で、改善には時間がかかります。無理やり症状をとるようなことはせず、解離症状は一定程度認めつつ本人の成長をじっくりと待つのが現実的です。北風より太陽的なアプローチが有効と思います。
さらに多重人格の方には自我状態療法やUSPTという心理療法があります。当院ではこのような心理療法は行っておりませんが、こころの中の様々な人格の話を繰り返し聞き続けることで人格の統合を図る心理療法のひとつです。
当院では上記の心理療法のトレーニングを受けた者がまだおりませんので多重人格を主訴としている方の対応は現在は困難です。